ふたつの意味での「失敗力」が強い組織を作るという話
今、勤務先のフィードフォースではエンジニアのキャリアパスの見直しをしているが、その議論の場で自分が「失敗力」の重要性について熱く語ったので、自分の中にある「失敗力」について書き留めておきたい。
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失敗こそが成長の原動力である
失敗力といっても全く真新しい話ではなく、これまで言い古されている話ではあるが、ここのところ自分が常に意識していることではある。
一言で言うと、「失敗こそ成長のきっかけである」ということなのだが、実は非常に難しいテーマでもある。
なぜ難しいのか
特に日本人の場合、教育を通じて常に「失敗しない」「失敗したら即死」といったようなマインドセットが染みついている。そのため、個々人が
- 失敗を恐れるがゆえに安全マージンを取り過ぎる。
- 失敗を恐れすぎてそもそも何もやらない。
となってしまう。また、ひとたび失敗すると
- 「何で失敗したのか」という「起こってまったことの理由」にフォーカスしすぎてしまい、得てして上から長時間にわたって詰める状況ができる。
- 他人が失敗すると周囲が寄ってたかってあげつらうリンチになるケースがある。
- 一度の失敗で組織のトップが辞任する。
といったことが発生してしまい、さらに個人が失敗を恐れるループに陥りがちだ。
これがゆえに、あるべき「失敗力」の維持が難しい大きな理由だと思う。
ふたつの失敗力
そのような中で組織を強く、イノベーションあふれるものにするためには、
- いかに綺麗に失敗させ (= 破滅的な失敗を避けつつイノベーションを生む失敗をさせ)
- いかに失敗から得られる学びを最大化し、
- いかにその学びを実行に移せるか
だと思う。これを踏まえると、組織には以下の二つが求められる。
- 個人の失敗に対する恐怖を極力取り除く
- 失敗を責めるのではなく、失敗からどう学ぶかという流れを作る
これが自分の考えるふたつの失敗力だ。
という話をしたところ、内部では「失敗という後ろ向きな言葉ではなく、トライという前向きな言葉を使いたい」という意見があった。これは Growth Mindset の観点からみて非常にいい提案だと思う。
敢えて「『失敗』力」にしているのは理由があって、上にも書いたとおり、日本人のマインドセットとして失敗を極端に恐れる問題があると考えている。そこにフォーカスする意味で失敗を使った。
失敗力をつけるには; 実はマネジメントからの強いコミットメントが必要とされる
このふたつの失敗力をつけるのは非常に難しくて、マネジメントの強力なコミットメントが必要とされる。この話を色々考えているときに、ピクサーの創業者、Ed Catmull の講演が非常に参考になったので、これを 100 回は繰り返し見た方がいいと思う。
第一にみんなやりきることに対しては非常に集中している。そこは我々の問題じゃない。我々はプロなんだ。映画を作りきりたいし、それをもって世の中にインパクトを与えたいと思っている。
だから、皆が情熱を持っていると分かっているのであれば、問題はハードワークさせるところではないんだ。問題は実は雰囲気作りと、問題を起こさせるところにある。
(中略)
当たり前のことだと思うんだけど、どの企業も成果を出すところにこだわりすぎて、結果的に皆に恐怖や心配をもたらしているんじゃないか。
その場の雰囲気を見て、「もう起きてしまったんだ、じゃあここからどう巻き戻そうか」「どうやって間違いを起こそうか、起きた問題に対してどうやればみんなが問題ないと感じるか」と言うんだ。
6:22
無責任な失敗を許容するわけではない
そもそもどんな失敗も許容されるべきではないということは全体に共有しておく必要がある。手を抜いた結果としての失敗はもはや失敗ではなく、プロフェッショナルとしての姿勢の問題だ。
ここで言う「失敗」とは、あくまでも全力でトライした上でなしえなかった何かということだ。
つまり、目標に向かって積極的にやるチームを作り、そこで全力でやった上での失敗はもはや失敗ではなくよりよいものにしていく上でのきっかけで、それがあるべき「正しい失敗」だという共通認識を作るところが重要だと思う。
「失敗した事実」を必要以上に深掘りしない
最初から正しい必要なんてない。新しいことをやっているなら、正しくできるなんて無理だ。だから、何度も繰り返すのだが、そうやって何度も繰り返している間、(マネージャは)その人が今やっていることがいいかどうかで判断できない。というのは、もし判断してしまったら、全部中断してしまうから。
8:23
全力で向かった結果の失敗はただの失敗ではない。本来は学びの場なのだが、得てして他人の不幸は蜜の味だし、他人に対して上位に立てる絶好の機会でもある。
競争本能を持つ人間のこと、強い意志がなければ袋だたきの場になってしまうので、そうさせない場作りというのはマネジメントの責務だろう。
また、マネジメント側も「なんで失敗したのか」を8時間以上の会議で詰めまくってしまうというのはよくあると思う。だがこれは全く不毛で、ここで起きているのは次に生かすための原因探しではなく、ただただ失敗したことに対する怒りをぶつけているからに過ぎないからだ。
失敗の原因を探るのは重要だが、次のアクションに生かすためのスタート地点を定めることが重要であって、メンバーに失敗への恐怖を植え付けるのが目的ではない。そのことにマネジメント側もメンバーも双方ともに非常に注意する必要がある。
「失敗」を「ただの失敗」にしない
「失敗」とは学びの場であるし、アクションのスタート地点だと考えている。
昔からよく「PDCA; Plan – Do – Check – Action」などというが、冷静に考えれば Plan も Check も失敗が起点だったりするものだ。
言い換えれば、高速に失敗すればするほど PDCA が高速に回っていると言ってもいい。そういう意味では、高速に「正しい失敗」をしている状態はむしろ自慢してもいいんじゃないか位に思っている。
「トライ」を生み出す
何度も書いているとおり、失敗はあくまでも次のトライのスタート地点である。つまりは、失敗から何を学ぶか、次はどうトライするのか、そしてそのトライがうまくいったかをトラッキングするのが一番重要なのだ。
だが何度も書いたとおり、他人の不幸は蜜の味である。その場の全員がそれを意識し、誰かがトライを生み出し続ける方向を向けるようにし続けなければならない。
トライの苦痛に対してマネジメントが先頭に立つ
導き出されたトライは非常に苦痛が伴うこともあると思う。大幅な手戻りであったり、ほぼ最初からやり直す必要に迫られることもあるだろう。
みんなそんな状況は避けたいが、それが最善だと判明したのであれば、マネジメントが先頭に立ち、かつ苦痛を顔に出すのではなくにこやかにチームを引っ張っていくべきだと思う。
そういう状況を作る上でも、最初に失敗を詰めるのは絶対にやってはいけないと考えている。
つまり
失敗力にはマネジメント力が問われるという話に尽きる。
- 個人の失敗に対する恐怖を極力取り除く
- 失敗を責めるのではなく、失敗からどう学ぶかという流れを作る
このふたつの失敗力を健全に維持するには、それが組織の最重要目標だと位置づけるくらいの優先順位でなければなしえないからだ。
「正しい失敗」を賞賛して恐怖心を弱め、同時に「トライする勇気」を喚起する。そして「正しい失敗」から「新たな実現可能なトライ」を生み出すことで高速に成長のサイクルを回すというのは、謙虚ながらも力強く、かつバランスのあるマネジメントが要求されると思う。
雑にまとめると
- 全力でやろう。
- 全力でやった結果の失敗は失敗ではない。スタート地点だと思おう。
- 失敗から次のトライに結びつけよう。
- マネジメントは上を強力に牽引すべき。でも謙虚に、力強く。